山吹色、12
その昔、乃木坂に天女が集まる祠があったという。
彼の地の集いし天女たちは、ある者は夢を求め、ある者は変化を期待した。
その中でもひときわ異彩を放つ者があった。
名を「橋本奈々未」という。
その者、北の地、修羅の国に生まれ、夢を求めて都へと上京するも、生活は貧しく、食うや食わずの毎日であったそうな。
そんな折、乃木坂の地へゆけば毎日豊かな食物にありつけるとの噂を聞き、祠へと馳せ参じた。
しかし、彼の地では飯は食えれどもさらなる試練の連続であった。
病弱であった橋本は、催事の度に何度も倒れ、ギリギリの状態で集まった民の前に姿を見せた。
時には、未知の抗体反応により夏の催事をすべて欠席するに至ったこともあった。
されど、その者はいつも笑顔であった。
人前に出るときは、いつでも笑顔を絶やさぬと決めていたのであろう。
人の不幸も自分の不幸も、ケラケラと笑い飛ばす強さがその者にはあった。
そんな橋本も、一度だけ怒りをあらわにしたことがあった。
御三家と並び称された松村さゆりに不逞の輩が近寄り、陥れられた時である。
松村にも落ち度はあれど、同じ道を生業とする者でありながら、知らぬ存ぜぬとは何事かと、静かに、されど力強く怒りをあらわにしたのである。
これに見るように、橋本は道を外れたことが好かぬ質であった。
常にまっすぐな心持ちで物事を判断し、おかしなことがあれば「それは違う」と迷わず口に出せる質であった。
そうした姿を見てきた周りの天女や集った民達は、その姿勢に心から敬意を表していた。
橋本もまた、それに答えるように、自らの生き方をその行動で示してみせた。
心の内はわからぬ。
迷いや葛藤はあったのであろう。
ついに橋本は天界へと戻る決意を固める。
しかし、彼女は笑っていた。
強がっているように見えなくもなかったが、それが橋本の生き方であったので、橋本らしいと言えばらしかった。
いよいよ天界へ戻るとなれば、それまで身を潜めていた悪鬼怨霊が今こそと鎌首をもたげる。
橋本の周りをうろつき、足を引っ張り、金切り声を上げ、心を裂こうと跳梁跋扈するのである。
満身創痍の橋本であったが、それでも最後まで心は折れぬ。
「私の口で私が語ることが真実である。その他の声に惑わされてはならぬ!」
橋本は叫んだ。
民達は涙した。
最後の最後に、橋本も涙した。
その涙は、後悔や悲しみの涙では決してなかった。
橋本が天界へ戻ったあとも、悪鬼怨霊の類いは醜き雑言を吹聴して回ったが、天からの一言で完全に息絶えた。
民達は、決してぶれることのない、まっすぐな心を授かり、幸福に満ちた人生を送ることができたそうな。
これが、民を愛し、民に愛された天女の話である。
*この物語はフィクションです。登場する人物、団体等とは一切関係ございません。豊かな食物はスタッフが美味しくいただきました。