N氏のヲタ卒仄めかし期間に於けるヲタ友の心理的不安要因について

もしも、あなたの親しい人が、熱中していた物に突然興味を示さなくなったら、あなたは何を感じるだろうか。

 

 

 

それは、5月末に突然訪れた。

 

「未練はない」という文字とともに乃木坂モバイル退会のスクリーンショット

 

「これはヲタ卒しようとしているのではないか」という憶測がタイムラインを加速度的に席巻した。

 

 

実際に彼をよく知る人たちは「どうせまたすぐ戻ってくるに決まっている」「モバイル会員辞めただけでヲタ卒なんてするはずがない」と当初は高をくくっていた。

 

しかし、今までならタイムラインに表れては賑やかしていた彼も、時々しか姿を現さなくなった。

 

「現場に行けばすぐにモチベ回復するから心配いらないですよね」と現場で会った友人とも話をした。

敢えて気にしないふりをしたが、お互い心の隅にぬぐいきれない不安が横たわっていたのは伝わっていた気がする。

 

みんな何気なく、あの手この手で引き戻そうと接触を試みもした。

しかし、そのたびに「もうそんな気はない」「楽しめない」と頑なに拒絶され、みんなだんだん気遣う方向へとシフトし始める。

「これ以上刺激すると、Twitterからもいなくなってしまうかもしれない」

おそらくそんな気持ちだったのではないだろうか。

少なくとも筆者はそうだった。

 

しかし、逆に彼が無理していることもよくわかっていた。

 

なぜ彼がそんな気になったのは知らない。

ひょっとしたら誰か知っているのかもしれないが、それは敢えて拡散するようなことでもないだろう。

事実は本人だけが知るものだ。

 

だが、本当にかまって欲しくないのなら黙っていればいい 。

かまってほしいからちょくちょく現れてネガティブツイートをしているのだろうということは容易に想像出来た。

ヲタクにも色んなタイプの人がいるので、辛抱強くやりとりをする人、希望を持たせて話を終える人、状況を見守る人など様々であった。

 

 

 

ここで私と彼の関係を振り返ってみよう。 

 

筆者が坂道を上り始めた頃、握手会とはどのようなものかもわからず、まるで興味がなかった。

握手会の楽しさなど知るよしもなかったので、積極的にライブの方に参加していた。

あの頃、メンバーを近くで見ることができるのはライブだけだったし、それで十分であった。

 

 

ほどなくして、メンバーが出演しているラジオを聞くようになり、感想を伝えたいと思うようになった。

メールで感想を伝えられるということを知ると同時に、彼の名前を頻繁に耳にするようになった。

「世の中にはとてもすごい人がいるんだな」と思ったことが鮮明に残っている。

 

そんな彼と、初めてまともにやりとりをしたのは、おそらく「ソニレコ暇つぶしTV」でサイン入りクリアファイルが当たったときではなかっただろうか。

そのころ、ラジオ投稿の仕方もよくわからず、恐れ多いとは知りながらも、推しが同じだった彼のツイートなどを参考にしてメールを送ったら、サイン入りクリアファイルが当たったのである。

感極まって「おかげさまで...」とリプを飛ばしたら、大変親切で丁寧なリプが返ってきた。

「あんなにメール読まれてるのに、天狗にもならず、こんな訳のわからない人間にもきちんと返事を返してくれる、なんてすばらしい人なんだろう」

そんなことを思って感動した記憶がある。

 

その後、いよいよ初めての握手会に参加することになる。

推しメンの握手会が行われるというのも一つの契機だったのだが、ラジオリスナーという種類の人たちがどんな人たちなのか、会ってみたいという気持ちもあった。

そこで、筆者は彼に「もしよろしければご挨拶でもさせてください」と連絡した。

「もちろんです」と彼は快く返事をくれた。

嬉しかった。

 

今に比べればまだ乃木坂会場の人数も少なかったが、それでもそこそこの人数で賑わっていた。

推しのレーンもありがたいことに長い行列ができていた。

右も左もわからず、きょろきょろと辺りを見回しながらソワソワしていると、行列の折り返しにハムスターが並んでいた。

 

間違いない、彼だ。

 

普段、知らない人に自分から声をかけることなどしないのだが、このときは考えるよりも先に言葉が出ていた。

「はじめまして。ヒララです」

「あ~ヒララさん!はじめまして!」

快活な笑顔であいさつを返してくれた。

 

推しメンとの握手を終えたあと、改めてあいさつに行くと、あろうことか「このあとお昼行くんですけど、一緒にどうですか?」とお誘いを受けた。

当時はヲタ友も多くなかった筆者。

彼を取り巻く屈強な人物たちが誰なのか、さっぱりわからないのである。

当然、相手方も筆者が誰なのかまるでわからないはず。

そんなどこの馬の骨ともわからない初対面の人物を食事に誘う豪快さにも「なんてすごい人なんだろう」と感じたものである。

 

その後、神宮のライブで行動を共にしたり、握手会終わりに飲みに行ったり、一緒にいる時間が増えれば触れるほど、ポンコツさや天然さも見えてきて、それが彼の愛される所以であることもわかってきた。

 

筆者も、ご多分に漏れず、彼が人として大好きになった。

同じ趣味を持つ仲間として、こんなに仲良くなれたのが嬉しかった。

 

 

 

と思ってたのに、いきなりいなくなろうとした。

ひょっとしたら、メンバーの卒業発表をステージで聞くのってこういう感じなのかという気がした。

 

自然と興味を失って気づいたらいなくなってたというならわかる。

止むに止まれぬ事情があるならわかる。

 

だが、無理して離れようとしているのがもろバレでいなくなろうとしてるのは良くない。

許しがたい。

処したい。

 

 

結局、下馬評通り、彼はライブでモチベーションを回復して戻ってきた。

まったく人騒がせなことだが、戻ってきてくれればそれでいい(処したい)

 

みんなが愛して止まない長靴を履いたロボットは、自分が思っている以上にみんなから愛されているのです。

そのことを忘れないように。

 

 

以上で私の発表を終わります。

ご清聴ありがとうございました。